自意識と超自我の葛藤のなかで。

GW2日目でございます。全然、ゴールデンではないですが。仕事のことを

考えて、気分はブルーでございます。

 

 

1か月働いてみて・・・。やはり、人前に立つ人間では無いことを痛感。

人を指揮する能力もなくて、途方にくれて心が涙を流している。

 

人は好きだが、人が怖いのだ。

 

責任もあるし、一年間はこの仕事を続けるつもりでいるが、やはり来年は、

文字に触れていたい。文字の生まれる泉の近くにいたい。

 

 

そのためにも、必死で這いつくばって、生きていかねばならぬ。

 自分の弱さを認めねばならぬ。

 

 

この弱い私は前を歩けるように、光を探して彷徨い歩く。

 

行く先は知らない。今日も今日とて、明るい方に足を滑らせていこうと思う。

 

新垣結衣と私。

ガッキーこと新垣結衣さんと私。

要するに、美人とブスということだ。

 

柚木麻子さんの「嘆きの美女」という小説を読んで、痛烈に感想を残したくなったので、記録しておく。

 

嘆きの美女』(なげきのびじょ)は、柚木麻子による日本の小説。雑誌『AERA』のウェブサイトAERA.net」で2011年2月7日から7月4日まで連載され、同年12月20日朝日新聞出版より単行本として刊行された。単行本には書き下ろし「耶居子のごはん日記」を含む。

ブスで引きこもりニート女性、池田耶居子(いけだ やいこ)が、偶然から悩みを抱える美女たちと同居することになり、彼女たちと友情を築きつつ成長する物語。(Wikipediaより)

 

 

と、引用してしまえば、このような感じになるが、耶居子と「親友」の美女ユリエのキャラクターが一癖も二癖もあって面白い。他の美女たちのキャラクターも上手く描かれていて、愛しくて憎い。

 

私は、チビでデブでブスなので(言ってて悲しい)、耶居子の持つ、美女に対するコンプレックスが痛いほど分かるのである。

 

美女の白々しい謙遜にイラつく感じとか、美女の何やっても許される感じに苛つく感じとか。

 

私は美女になったことないから、美女の気持ちは分からないけれど、美女も人生大変なんだろうということは想像に難くない。ただ、やはり、幸せなのは美女の方に決まっている、とネガティブ全開になってしまう。

 

その感じも上手く文章化されていて、敬服。美女にもブスにも普通の人にも読んでみてほしい作品であった。

 

 

環境を変えていかなくてはと思った。

言い訳してていいわけ?と寒い駄洒落を自分に投げかける気分になった。

 

もうすぐ、自身の置かれている環境も変わる。良い刺激を受けながら、一歩一歩成長していきたい。

留まることのない悲しみの名はきっと…。

就職先が確定して、1日が経ちました…。

 

全然、心が晴れやかでない!

 

むしろ、不安で胸が押しつぶされそうである。(どうせなら、腹を押しつぶしてほしい←)

 

 

どんな仕事に就いたって、苦しみや悲しみを伴うだろう。

 希望や夢なんて、所詮戯言にしかすぎなくて、1日の大半を苦悩で過ごすとなると

将来の不明瞭さにぞっとする。

 

どれだけ私が、「学校」という場所に守られ、「学生」という立場に胡坐をかいていたかがわかる。

 

同じ定規で測られて、裁断され、同じ様な仲間のいる場所に預けられ、

似たような日々を過ごすことが、どれほど恵まれていたことだったかを痛感する。

 

 

それでも。私は生きていかなければならない。明日のことだって何もわからないのだから、1年後どうなっているのかも検討がつかない。

 

一歩一歩夢中で生きて、悲しみと共に歩んでいくんだ。

それが、「生きていくこと」だろう。

 

 

明日は、卒業式だ。

苦味を持った、社会の中で、あがいてみますか。

 

渦に飲み込まれてみる。

3月。綺麗なスーツを着た、綺麗な子達が増えた。

 

それはそうだよね、3月で2016年度採用活動解禁になったんだもの。

 

可愛い子達は、あっという間に大手に決まって、うえ~いとやることでしょう。

僻みか?って。僻みですよね。能力も、美貌も魅力もない私の。

 

 

それでも、生きていかなならんのです。

 

だから・・・、非常勤講師として、働こうと思っています。

 

 教師の免許状は取得見込みなんですよ、はい。

 

 

 教えることは好きですが、要は自信が無くなってしまって、諦めたわけですよ。

 

 

 幸か、不幸か、講師は不足しているようで、教員として、働くことになると

 思います。

 

 

 踏み出すことは怖いけれど、渦の中に飲み込まれてみることも大切かなと。

 

 

 毎日大変だと思うけど、頑張ります。

最悪な日曜。

直近に書いたのが112日前か…。言葉を紡ぐのが好きなのに、紡ぐことから逃れていたのは、この日記に書いていること、書こうと思うことに、逃れたい「現実」があるから。

 

 

今日、3月1日より、2016年度の就職活動が(表だって)解禁した。

しかしながら、今年卒業する私は、まだ、内定を取れていない。所謂、無い内定というやつだ。

 

 

将来が不安で不安で仕方ない。来る日も来る日も、「就活」という言葉が私の脳裏を駆け巡り、私の心にナイフを突き刺す。

 

ー周りはとっくの昔に、決まっているのに。

ーこんなに受けて受からないなんて、本当に無能だな。

 

違う、そうじゃない。私は私だ、そう思っても、人と比べてしまうし、自分を無能だと言い訳づけて逃げてしまう。弱いなあと思う。

 

 

教師に憧れて教員免許は取ったので、教員になるという道もあるのかもしれない。

だが、緊張であがってしまう私になれるのだろうかという不安が逡巡して、一歩が踏み出せない。

 

もともと、適性も無いのに仕事としたかった出版の仕事に未練タラタラだし、

弱くてエゴイスティックで子供な自分とそろそろサヨナラしなくては。

 

 

そろそろ、覚悟を決める時。

 

 

たまたま、私のブログを読んだ就活生の方。

頑張りましょう。私のようにならないでください。

就活は驚くほど上手くいく人もいれば、驚くほど決まらない人もいます。

自分の納得する道を突き進んで、納得のいくよう頑張りましょう。(何様)

 

 

 

はぁぁ・憂鬱な日曜。

 

相変わらずの日常

はぁ。こんだけ日にちが立っているというのに、まだ内定は取れておりません。

 

正直な話、面接を通ったことがありません。(グループディスカッション等は通ります)

 

私は驚くぐらい緊張してしまうのです。私の中では緊張していないつもりの時でさえも

緊張しなくていいと言われます。練習して行っても、否定されます。

 

私はもう私が分からなくなっているのです。

拒否されることに慣れ過ぎて、怖くなっているのです。

 

ああ、どうしよう。

 

 

 

弱い人だと思われたでしょう。ああ、本当に弱いのです。

 

言い訳ばかりで、自己正当化させて、自己満足に浸っている

自分国の王です。

 

国は崩壊寸前で尊大な自尊心の壁に囲まれて、身動きさえ、取れなくなっているのです。

 

自分と他人を比べることばかりして、自分と向き合うことを恐れて。

 

 

ああ、強くなりたい。

 

 

 

 

 

 

※情緒不安定でごめんなさい。わりと真顔でこの文章を打っています。

感情を表に出すのが苦手です。言葉を上手く操れません。

午前2時の憂鬱。

22日発売の嵐のアルバムをやっと取りに行ってきた。

予約した本屋は気持ち家から遠いので(車で10分強)、少し億劫になっていたのだ。

物理的距離、というよりは心理的距離であったような気がするけれど。

 

 

CDを買い、漫画を2冊買って、車に乗る。嵐のCDを車に入れるべく、CDを出す。

 

…ワールドワイド。宇宙的。SO COOL。

 

そんな感じであった。きちんと聴きこんでいないから何とも言えないけれど、

とにかくそれはもう、カッコいい以外の形容詞をつけられない感じだった。

 

 

 

 

私は他に関ジャニ∞も好きで、応援しているのだけれど、回りのファンとどうも熱量が違う。CDやDVDは買うし、彼等の出ているテレビや映画を観るし、機会があればコンサートにも行くし。

 

 

考えてみると、答えは出た。彼等の全面に憧れや尊敬を抱いているのと同時に、

私は彼等に嫉妬しているのだ。

 

頑張っている様子を感じさせず、彼等は「アイドル」をそれはもう楽しそうに演じ、

多くの人に影響を与えている。

 

それはもう、輝きに満ち溢れていて、まぶしくて仕方がない。

 

 

当然ながら、私にはそのカリスマ性も才能もなければ、何かを為してやるという野望もない。そこにあるのは、とるに足らない矜持と密かに息を潜めている負けん気だけだ。それ以外に私には何もない。それでも、今日はやってくるし、明日を生きなければなるまい。

 

 

コンサートに行った時に、こんなにも多くの人を幸せに出来るなんて本当にすごいなと思うと同時に、私はこんなに多くの人の感情を動かすことはできないな、悔しいなと思う自分に吃驚したのを憶えている。

 

何が出来るか分からないけれど、何か出来たらいいな、

と思うのであった。(その前に内定とれよ)