く…く…くっそーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

コンサート参戦記録のブログ、5.6時間かけて書いていたやつ……

 

一瞬にして…消えたーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!

 

下書き保存していなかった、自分が憎い………。

 

 

 

くそーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!

 

 

悔しすぎる(´;ω;`)(´;ω;`)(´;ω;`)

 

 

 

 

 

アホすぎるし、何ならパソコンにもイライラしてる………。

 

 

 

あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ(絶望)

一か月半もあったのに、殆ど準備が出来ないまま、あと一週間…。怖い。怖い。

 

タイムリミットは刻々と近づいていく。

憂鬱と気怠さの中に、焦燥と茫然を感じる。何度同じ過ちを繰り返せば気が済むのだろう。

 

過ぎ去りし時間が教えてくれる助言を、何時も無知な振りして平気で踏みにじる。

実践を伴えない。ああ。なんと、愚かなことか。

 

 

将来のことが、上手く見えないのです。

怖さと不安を伴って、日々は過ぎていく。とめどなく溢れる負の感情に押しつぶされそうになる。辛いのです。

私は一体どうなりたいのでしょう。壊れそうな私の自我と一緒に必死に今日も生きていくのだ。

 

 

 

 

幸福な不幸

正直、私は恵まれている方だと思う。


自宅暮らしで、家事は出来る人がやるという

分業制なので、仕事から帰ってきて、家事全般を必ずしもやらなくてはいけないわけでもない。


何より、悩みや愚痴を聞いてくれる人がいることはすごく心強いことだとも思うのだ。


一人じゃないって〜素敵なことね〜







仕事の面においては正直、上手くいってないない。

私が未熟だから、舵を取りきれず、

もはや沈没船なのである。




努力のできない怠惰な私は

目の前の事象から逃げて踠いて

溺れているのである。

如何にか希望の光を見つけねばなるまい。



それでも、仕事は上手くいっていないとは言え、周りの方々はとても親切だし、

(年収は高くないが)休みが多い。

恵まれすぎているほど、恵まれている。






それなのに…。日々に多幸感がない。



毎日を空費しているような感覚がする。


何となく1日を生きている感じなのだ。

ただ、同じ毎日をなぞって暮らしているような。







私はそんな空虚な気分になるファクターを知っている。






私の生き方が魅力的ではないからだ。



1日1日を一生懸命に生きてないないからだ。「何となく」で、乗り切ろうとしているからだ。

努力して、ダメだった自分を見て、惨めな気持ちになりたくないから。

幾つも尤もらしい理論を身につけて武装して、勝った気で胡座をかいているから。



本当は負けるのが怖いだけなのに。



今はまだ、守るものなど無いのに。

非常に無駄な自己の安っぽいプライドを

守ってどうするんだ。

そんなものはゴミ箱に捨ててしまえ。



そして、怖がらずに向き合うことが大事だ。

一度ぐらい本気になってみるべきだ。





…そう思っても中々行動できない、

臆病な私。



私の今ある幸福な不幸は、どのように

形を変えていくのだろうか。

不幸は形を変えることができるようだ。

巡り巡って、かつての不幸が

星になっていてくれれば、不幸も

報われるかもしれない。


ー「案外、今も悪くないだろ?」って、不幸と似た幸福が笑いながら。


自意識と超自我の葛藤のなかで。

GW2日目でございます。全然、ゴールデンではないですが。仕事のことを

考えて、気分はブルーでございます。

 

 

1か月働いてみて・・・。やはり、人前に立つ人間では無いことを痛感。

人を指揮する能力もなくて、途方にくれて心が涙を流している。

 

人は好きだが、人が怖いのだ。

 

責任もあるし、一年間はこの仕事を続けるつもりでいるが、やはり来年は、

文字に触れていたい。文字の生まれる泉の近くにいたい。

 

 

そのためにも、必死で這いつくばって、生きていかねばならぬ。

 自分の弱さを認めねばならぬ。

 

 

この弱い私は前を歩けるように、光を探して彷徨い歩く。

 

行く先は知らない。今日も今日とて、明るい方に足を滑らせていこうと思う。

 

新垣結衣と私。

ガッキーこと新垣結衣さんと私。

要するに、美人とブスということだ。

 

柚木麻子さんの「嘆きの美女」という小説を読んで、痛烈に感想を残したくなったので、記録しておく。

 

嘆きの美女』(なげきのびじょ)は、柚木麻子による日本の小説。雑誌『AERA』のウェブサイトAERA.net」で2011年2月7日から7月4日まで連載され、同年12月20日朝日新聞出版より単行本として刊行された。単行本には書き下ろし「耶居子のごはん日記」を含む。

ブスで引きこもりニート女性、池田耶居子(いけだ やいこ)が、偶然から悩みを抱える美女たちと同居することになり、彼女たちと友情を築きつつ成長する物語。(Wikipediaより)

 

 

と、引用してしまえば、このような感じになるが、耶居子と「親友」の美女ユリエのキャラクターが一癖も二癖もあって面白い。他の美女たちのキャラクターも上手く描かれていて、愛しくて憎い。

 

私は、チビでデブでブスなので(言ってて悲しい)、耶居子の持つ、美女に対するコンプレックスが痛いほど分かるのである。

 

美女の白々しい謙遜にイラつく感じとか、美女の何やっても許される感じに苛つく感じとか。

 

私は美女になったことないから、美女の気持ちは分からないけれど、美女も人生大変なんだろうということは想像に難くない。ただ、やはり、幸せなのは美女の方に決まっている、とネガティブ全開になってしまう。

 

その感じも上手く文章化されていて、敬服。美女にもブスにも普通の人にも読んでみてほしい作品であった。

 

 

環境を変えていかなくてはと思った。

言い訳してていいわけ?と寒い駄洒落を自分に投げかける気分になった。

 

もうすぐ、自身の置かれている環境も変わる。良い刺激を受けながら、一歩一歩成長していきたい。

留まることのない悲しみの名はきっと…。

就職先が確定して、1日が経ちました…。

 

全然、心が晴れやかでない!

 

むしろ、不安で胸が押しつぶされそうである。(どうせなら、腹を押しつぶしてほしい←)

 

 

どんな仕事に就いたって、苦しみや悲しみを伴うだろう。

 希望や夢なんて、所詮戯言にしかすぎなくて、1日の大半を苦悩で過ごすとなると

将来の不明瞭さにぞっとする。

 

どれだけ私が、「学校」という場所に守られ、「学生」という立場に胡坐をかいていたかがわかる。

 

同じ定規で測られて、裁断され、同じ様な仲間のいる場所に預けられ、

似たような日々を過ごすことが、どれほど恵まれていたことだったかを痛感する。

 

 

それでも。私は生きていかなければならない。明日のことだって何もわからないのだから、1年後どうなっているのかも検討がつかない。

 

一歩一歩夢中で生きて、悲しみと共に歩んでいくんだ。

それが、「生きていくこと」だろう。

 

 

明日は、卒業式だ。

苦味を持った、社会の中で、あがいてみますか。

 

渦に飲み込まれてみる。

3月。綺麗なスーツを着た、綺麗な子達が増えた。

 

それはそうだよね、3月で2016年度採用活動解禁になったんだもの。

 

可愛い子達は、あっという間に大手に決まって、うえ~いとやることでしょう。

僻みか?って。僻みですよね。能力も、美貌も魅力もない私の。

 

 

それでも、生きていかなならんのです。

 

だから・・・、非常勤講師として、働こうと思っています。

 

 教師の免許状は取得見込みなんですよ、はい。

 

 

 教えることは好きですが、要は自信が無くなってしまって、諦めたわけですよ。

 

 

 幸か、不幸か、講師は不足しているようで、教員として、働くことになると

 思います。

 

 

 踏み出すことは怖いけれど、渦の中に飲み込まれてみることも大切かなと。

 

 

 毎日大変だと思うけど、頑張ります。