「何時だって、今日は酔狂」

久々の更新が小説になるとは、思いもしませんでした。
というか、「そうだ、小説を書こう」と、きちんと書いたこともないのに、
書いてしまいました。初めてきちんと書いたので、小説という代物ではない気が
しますが、↓のような、「初心者こそ」というような文面を拝見して、書いてみてしまいました。完全なる自己満です。
 
 
「何時だって、今日は酔狂」
 

 喧噪に溢れた公園は、人混みが景色となって存在している。無造作に動くそれらは、心の中に憂鬱を呼ぶ。ああ、なんて、切ないのだろう。この世界はどうして桜なんて、感傷的なものを見出してしまったのだろう。特別な理由などないのに、泣きたくなってしまうから、困る。嫌気がさして一度深呼吸をする。違う自分に出会う。何もかもが色褪せて見える。意味もなく笑いあっているカップルにも、無意味にはしゃいでいる子供らにも、脇で無価値に思える詩を売っているおっさんにも、一切の感情が生じない。

 そもそも、どうでもよいのだろう。そんなもの、私の人生に関係のない「風景」にすぎないのだから。なんて、気取ってみても、自分の人生にさえ、迷いばかりで、正しい生き方など分かっていないのだ。生まれた時から、自分のドラマは悲劇だったのだ。他人から見たら、とてつもなく貧相な喜劇かもしれない。ドラマすらないのかもしれない。現実は、そんな人間にかまっていられるほど暇ではないだろうし、無意味さに呆れてしまうことであろう。振り返ってみれば、それくらい、無意味な毎日を過ごしていることに、憎悪の念すら感じるが、それが結局自分の心を落ち着かせるのだから、皮肉なものだ。平日は決まった時間の電車に揺られ、休日は朝と昼の狭間に起きて、録画した流行りのドラマを見て、上手くも不味くもない食事を一人でとって…。満たされない愛情をどうにか自分の中で昇華して、私は、いつものように歩いて行く。変化のない、コピーペーストされた日々。私は、同じ線をなぞっているだけのだろうか。そうであるに違いない。ああ、つまらない人生だ。こうも、単調な毎日であってよいものなのか。

 

それでも、何かを始める勇気なんて持ち合わせて居なくて、何かを見つけた誰かを羨んで、現状地点で立っているだけなのだ。いつの間にか、周りの「誰か」達は、私の現状地点からは見えない位置まで行ってしまった。そう、見えるだけかもれないが、私にとってそのくらいの距離にあの人達は立っている。楽しそうで幸せそうで、それがとても微笑ましいのだけれど、自分の持っていないものをいとも簡単に手に入れているその人達にも、何か波風が起こらぬものか、と不和を何処かで期待している自分がいることに辟易する。私は、人の不幸を喜ぶ人間になってしまったのか。ああ、辛いことだ。悲しいことだ。それでも、息をして、私はここに立っている。その事実がとてつもなく、恐怖の色を持って、私に襲い掛かってきた。自己の無意味さに押しつぶされて、どうでもよくなって消えてしまいたいと思った。

 

 桜並木の近くのマンションを借りたのは失敗だと苦笑した。始めこそ、密かに心躍らせる瞬間があったことは否定しないが、毎年のように毎日、桜を見ていると、それは「景色」でしかなかったし、ただの「日常」でしかなかった。加えて、夜遅い時間でも、人の絶えない通りは、静かな空間を好む私には苦痛でしかなかったのだ。それでも、引っ越さないのは単に家賃が安いのと、職場が近いからだ。そもそも、それが理由で引っ越したのだから、当然ではあるが。

コンビニに行くには、この公園を通るのが一番の近道なので、仕方なくここを通る。「桜はきれいだ」という絶対的な価値観にまみれた、浮かれた顔を見なくてはならないのは癪だが、遠回りするということは、「桜」が価値をあるものだと逆説的に認めることになる。それは絶対に避けたかった。そういうやつらに負けたくなかった。

憂鬱を背負いながら、ふと桜を見ると、満開に見えた桜もよく見ると、小さな葉がちらほら見える。もう散り際だったのか。それでも、総体として、美しいのだから、桜は憎らしい。

なんの変哲もないいつものコンビニが見えた。今日はやけにこの道のりが長く感じたが、それもただの気のせいである。コンビニというのは本当になんでもあるもので、便利さのインフレが起こっているのではないか、といつも勝手に感じている。いつものように、どうでもいいことを感じながら、また顔に似合わない甘い酎ハイを買い、好物のイカソーメンとチータラを買う。酎ハイに特別合う組み合わせではないが(一般的にビールの方が合うのだろうが)、私が好きだから、問題ないのだ。誰かに規定されるなんて、まっぴらだ。

 

帰り際、公園には大学生くらいの、いや、大学生よりも2、3年上だろうか、青春気分の抜けていなさそうな連中に出くわした。如何にも何も考えてなさそうな男に、頭の軽そうな女たち。そんな連中も、私のことなど空気の様に嘲笑って、見下しているのだろうその雰囲気に辟易とした。少々お金を持っていたとしても、顔が整っていたとしても、それが何だというのだ。男はお金を持っているから、女はに取りやすい可愛さに身を包まれているから、求められているというだけではないか。どんな了見があって、人の美醜で、判断するのだろうか。ほっといてくれ。

気持ちの上では言い返せても、実際にそんな風に言えるわけはない。男に「ブス」を笑われ、女に「可哀そう」な目で見られているような気がして、早歩きをする。余計な体力など遣いたくもないのに、鼓動が嫌に脈を打つ。お前らなんか消えてしまえ。だから、嫌いなのだ。この公園を歩くのは。

 

 意味もなく不快な気分になったので、今日はとても疲れた。誰もいない部屋に、灯をともし、テレビをつける。

 特に観たいものもなかったので、ザッピングしていた。何を考えることもなくあまり面白くもないバラエティを見ていると、束の間、時が止まった。そこには凛とした美しい人が居た。正確にはそこに彼が映っていただけだが。一人の冴えない人間を魅了するには、それだけで充分だった。

 

 

 

 

 ――――――それ以来、私は「彼等の追っかけ」をしている。あれだけ美醜を判断されることに嫌悪感を抱いていたのに、彼等の美しさに魅了されているのだから、自分で自分にあきれたりもするが。

価値観など脆くも儚いものだ。人間、弱くもないけれど、強くもないのから。

 また、「桜」の季節だ。桜といっても、その種類は、一つでない。ソメイヨシノサトザクラ、八重桜……。

 私の心に咲いていたのは、「シダレザクラ」だったのだ。あれだけ綺麗な花に「ごまかし」の花言葉をつけた人はどういう心持ちだったのだろうか。以前の私のような、何もないのに取り繕って、自分だけを正当化していた人間に違いない。

 

 今まで関心を持たないでいた自分の醜い体型をきちんと意識するようになったし、それを隠そうと服にも気をつかうようになった。彼等を追っかけるうちに、「同志」と呼べるような仲間もできたし、楽しいことだらけだ。空白の時間が苦痛でなくなった。

 

 最大限のおしゃれをし、家を出た。昼中から公園で騒ぐ大学生ももはや気にならない。

 

…今日も、笑顔で迎えてくれるあの人達に逢いに行こう。