それを恋と呼ぶのなら。(『悪友』に救われた女の話)

私は昔から、 「キャリアウーマン」に憧れていた。

「カッコイイ女性」になりたかった。

 

 

月日は流れ、幼い頃になりたかった、教師・編集者の職に、規模こそ、希望こそ違えど、就くことが出来た。

キャリアウーマンというタイプにも、カッコイイ女性にもなれなかったけれども、仕事は楽しい。

その点ではとても良かったけれども、いかんせん入社した会社がそう大きくない会社なので、想像以上に収入が少なすぎた。

(がしかし、仕事は楽しいし、同僚も良い人ばかりで、収入以外は良いから、転職ももう少し先で良いかと思っている…)

 

収入の少なさに加えて、オタ活が楽しすぎて割とライトに色々な沼に出没し、恥ずかしながら、25歳で『貯金額 3万』である。

後は資産といえば、一生独身だろうと入った個人年金の積立くらい。友達はすでに200万くらい貯めていて、こんなんでいいのだろうかと、モヤモヤしていた。

 

 

また、仕事と共に語られがちな恋愛については私は超絶苦手分野である。私は、私の人生において 恋愛は不要なものだと思ってたし、私の人生には無駄なものだと思っていた。もちろん、相手がいない歴=年齢(25)である。

 

弟には、『中学生の恋愛はお遊び』『高校の恋愛はマウンティング』『大学の恋愛は欲望だけや』とその段階がくるごとに何かしら言ってたけど、その実、弟はその段階ごとに確実に彼女いたし現在もいるのだけれども、最近は私が何か言うたび、生暖かい目を注いでいるという現状もあったりする。

 

そんな中、友達は順調に交際歴を重ねたり、新しい人と付き合い始めたり、はたまた結婚する子も出てきた。

 

『恋愛は不要、結婚は無用』と決めていたけれども、40歳ごろ不安になりそうだというのと、 大嫌いな自分と向き合ってみて、自己を振り返り、一度恋愛沼にハマってみて、それで決めてみようという好奇心から、25歳にして、『恋活』を始めてみることにした。

 

でも実は、『恋活』を始めようと思ったきっかけの最大の起因となっているものが、かつて私にはなかった『美容』への興味です。

私は人より太っている(150センチ・現在54キロ)のとブスなのを免罪符にして、恋愛するのを、綺麗にしたいと思うのを、惨めな自分を誰かに晒すのを拒んでいました。

 

太っているからオシャレできない、恋愛できないのは仕方ないと、周りに納得させるような。 実際痩せたところで、この卑屈な性格じゃ出来ないの分かっていたから、恋愛というフィールドで戦うことから、逃げた。 肯定/否定の天秤で、評価されることから逃げたんです。 『悪友 vol.2 恋愛』のアンケートで、恋人を作らない理由で、「私を好きになる人を好きになれない。そもそも私を好きにならない」というような趣旨のものを書いたのは私の記憶に間違いがなければ私です。(笑)

 

 

まぁ、そうしているうちに、周りの時計はどんどん進んでいったわけでして。自分の時計は止まったままだったのに。 モヤモヤとそんなことを考えていた中で、美容への興味を向けさせたのも、『他人の目』だった。

非常にショックな出来事があって。

 

私は、太っていたけれど、流石に妊婦に間違えられることはなかった。

それなのに、今年の6月ごろ、妊婦に間違えられた経験したのだった。それも2回も。

電車で、立っていたら席を譲られたのです。 1回めは優しそうな可愛い女子高生、2回めは爽やかなわりとイケメンな若手男性会社員。2回ともゆるいワンピース着てたし、ヒールほぼ無かったし、恐らく、そうや……。善意が辛くて……。

『ありがとうございます』と笑顔で座ったよね。顔で笑って、心で泣いて。

 

それで体重測ってみたら、あらビックリ‼︎ 150センチで、59キロくらいあったの。 人生で最高に重かった。 これはやばいとダイエットしだした。

 

ダイエットしようと色々美容関係のもの見ていったら、色々と知識が入って、この服かわいいな…このネイルしてみたいな…化粧で誤魔化せるかな…とか色々考えるようになって。 そしたら、少しずつ痩せていって。 今、リバウンド気味ではあるのだけれども、頑張ったら頑張った分だけ結果が出て、『美容沼、意外と面白いかも…❔』と、思うようになった。

 

カチューシャをつけたら笑われて以来、アクセサリーに抵抗があったけれど、自分が『可愛い』と思えるものを身につけるのにもそこまで抵抗が無くなった。 ほんの少しだけ自分が好きになれた気がして、それで一度くらい恋愛してみようかなという気になったのだった。自分に不要か否か実践して見極めてからでも遅くないと思ったのだった。

 

 

そもそも、私は恋愛を毛嫌いしてきたわけでない。私は、恋愛において、自分自身は苦手分野だったけれども、私は『恋している女の子』は好きだったし、友達のノロケ話を聞くのも好きだし、恋愛漫画も好きだった。恋愛はしたい人がすれば良いし、しなくたって良いと思っていた。

 

だけれども、世の中では「恋愛」や「美容」に全く興味のない子、はたまた全力な子をどこか馬鹿にする風潮があって、私はそれはなんか違うなと思ってたし、別にそれが優先順位が高くても低くても良いじゃないかと思ってたのだけれども、それがうまく言語化できなくてモヤモヤしていたところに、

 

『悪友』で【恋愛沼】いうワードを見て、それや‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎と思った。

 

一つのオタク、一つの沼だと思えば途端に苦手意識も半減する。

『女子力』と揶揄されるような媚びも、恋愛オタだと思えば、重要な基礎知識の可能性だってあるし、推しに少しでも良く見られたいという気持ちも分かる。(まぁ、最も私はリア恋系オタじゃないし、自担と恋愛するくらいだったら爆発しますっていうくらい自担のプロの時が好きです。プライベートは、プロの時の彼等に迷惑のかからない行動をしてよね、と思ってます。)

 

楽しいから恋愛するのに、それが馬鹿にされたら辛いよね、って思った。 これは美容に関してもだけど。必死そうとか、思っててすみませんでした、単純に好きな人も多いよね、コスメ可愛いし、やればやっただけ成果も出るし。

すっぴんにリップか、BBクリームしてファンデつけて、リップだけとかそういう感じな人間だったもので。

そういうことをやってこなかった私は、25歳にして、

コテもアイロンもあるのにも関わらず、上手く使いこなせていません、ええ。

 

で、まぁ、恋愛しようと思ったは良いものの、これまでしてこなかったわけですから、そうそう出会いがあるわけはありません。

友達に頼むのは、私が合コンに来たら、その友達の株を下げるのと、男性側の落胆を想像したら行けません。 というわけでどうしようかなと思っていたところに、行きたいなと思っていた、読書会を主催しているところが、読書合コンをするとあって、これだ‼︎と思って申し込み。

4対4の合コンだったのだけれども、

①自分の好きな本を1冊紹介

②各相手と15分程度話す

③第2希望まで書いて(書かなくても可)マッチング

という手順でした。好きな本を紹介するところは、質問も可能で、わりと和気藹々としていました。私は純粋に全ての本に興味があったので、男女問わず1問は何か聞こうと思って、1冊以外は全て質問したはず…。

そして、各相手と話す時間。そこまで好みでない人には、どこそこのアイドルが可愛いぞ…という話とか、本当私みたいなん、みたいな話できた。あまりにも自分がが1番読みたいと思った本をプレゼンしてくれた男性にはドルオタなことも、そういう自分のコンプレックスも開示できなくて、いいなと思った人には良いところ見せたいんだ、と思う自分がいることに驚いた。

 

我ながら凄くメンドくさい人間だなと思うのだけれども、

第1希望に、私のことを絶対書かないだろう人

第2希望に、私が1番いいなと思った人

を書いた。

 

マッチングしなくても、第2希望だったし…と言い訳するための逃げ道を用意しておいた。 そしたら、意外なことにマッチング。

マスターにも、『自信持って』と励まされた。 でも、第2希望同士なんてこともあるだろうし…と思いながら、終わった後、 話していたら、

『アメトーク』の読書芸人、『ご本、出しときますね❔』『わがままな本棚』という本紹介番組の話で盛り上がって、それで盛り上がれる人、まわりに殆ど居なかったら、嬉しくて。 連絡先交換して、終了。

 

1度あってご飯食べて、また、楽しくて。

2度目あってボーリングしてご飯食べて、また 楽しくて。

3度目約束したら、骨折したと言われて、あぁこれフェイドアウトの嘘のパターンなのかな…と思ってたけれども、どうやら本当のようで(恋愛慣れして居ない故暗黙のルールが分からない)、10月に予定が入った。

 

この好意が『恋』なのかは分からないけれども、たとえこの好意が恋でなくても、友達として仲良くしたいな、と思える人だな、って今の所思っている。〇〇(名前)さんって呼んでくれるところも、色々否定しないところも、秋めいてきたという話で、私が『秋来ぬと〜おどろかれぬる』という心持ちですよね、って返したら、秋の歌だと西行の『心なき〜秋の夕暮れ』が好きですと返してくれるところも、本当良いなぁって思っている。

ちなみに、アイドルオタなのはもう話した。

わりと私の会話それがないときつい(笑)

お姉さんがKinKi Kids堂本剛さんのファンなようで、よく聴いてたわ〜と。

剛さんありがとう‼︎←

 

 

読書会の人に感じた気持ちは、「恋」なのか検証しようと、街コンにも1人参加してみた。1人参加なのは友達が少ないのもあるのだけれど、友達に気を使うのが嫌だったから。友達だけカップリングとかたら、気まずいじゃないですか。

 

20代限定街コンに参加してみて、女性が6名 男性が9名くらいだったと思うのだけれども、25歳の私が女性最年長で、男性も27歳が最年長だったので場所の都合もあるけれど、もうそんなに「若い」わけではないのだな…と何だかしみじみした。

 

カップリングは特に名前を書いてださなかったのだけれども(大概がノリが若すぎて私には無理だった)、一軍女子争奪を脱退した男の人2人が気を使って「気になるカード」に電話番号を書いたものをくれたので、一方的に連絡先を知るも悪いと思って、連絡を取ってみた。 連絡カードに誤字があった人にはそれを指摘したメールを送ったけども返信がなかった(笑)

だけれども、1人の方とは呑もうとなって。「呑もう」って書き方が軽いな~、あぁこの人そういうタイプかな~と思いながら、話は楽しかったので、恋愛検証してみようと会うことに。

そしたら、相づちが上手い、服装を「可愛い」と褒める、ネイルを「可愛い」と褒める、彼氏について聞く(いない歴=年齢な人ですので、普段なら『「今は」いない』という嘘でもないこれ以上聞くなという無言の圧力・魔法の言葉を使うのだけれども、それが利かずグイグイ聞かれるので、1年付き合った3年前の同い年の寡黙な彼氏を創造した。つら。)、ご飯をさっと奢る……、あぁこれ慣れてるな~、この後来そうだな~、いやいや私みたいなデブスはないやろうと思ってたら、普通に誘われてビックリしましたよね、ええ。

 

ただ、まぁ私、普通に断ったんですけれども、悔しいかな、ちょっと嬉しかったんですよね、ええ。ある人にとっての『誰でもいい』の『誰でも』に入れる人種なんだと。 その後『変な誘い方してごめん、いい人だったし、魅力的だったから誘った』みたいな連絡がきて、いやいや、1度会ったくらいで何分かんねんっていうのと同時に、言われたことのないお世辞な『魅力的』という文字に、これまた悔しいことにときめいてしまったのも事実で。まぁ、正直、顔がそこそこ好みだったのと、関西弁に萌えたって言うのもあるけどな‼︎‼︎‼︎‼︎

 

このまま恋愛探ししていると、軽い男にそのまま惹かれてしまいそうだな……。自己肯定感が低い人が、軽いノリの人に惹かれる理由が分かったような気がするとも思ったりもしました。(盛大なブーメラン)

耳触りの良い言葉を言われてこなかったが故の拗らせがすごい………。

(まぁでも、そういうことをするのに、わりと誰でもいい男性は少なからずいるのかなと思った経験があって。 2.3年前に、『誰でもいい』の範疇に入ったことがあったなということを思い出した。 男子高校生にカラオケ屋の道を聞かれ、説明しても中々行かないから、どうしたんだろうと思ったら、『ムラムラするんですよね』って話されて、いやいや…何言ってるんだ君は、自分大切にしいや~、誰でもいいはあかんで~~って思った。その時は別に嬉しいも何もなくて、不可解と嫌悪だったけれど。)

 

 

まぁでも、色々ありますが、今、ちょっと楽しいです。色んな人にあって、色んな価値観を見てみたいです。 大好きな沼も円熟してきて、正直、新しい刺激に欠けるなって思っていたところの、趣味です。 オタクごとで外出て、恋愛沼ごとで外出て、レコーダーに未視聴が溜まるのも、当然のようにあり得ない幸せのチケット落選したのも、今は横に置いておきます。 とりあえず、この沼が合うかどうか、一度思いきり楽しんでみたいと思います。

 

恋愛沼に入るにあたり、私の恋愛スタンスを決めました。

スタンスは、 【愛されるよりも愛したい真剣で】です。

 

私の大嫌いな小説家・朝井リョウさん(どれくらい嫌いかっていうと、将来サイン会に行って、『私は朝井リョウさんが嫌いです。これからもずっとずっと嫌いでいさせてください。憎いと思わせてください』と言いたいほど嫌いです。)が、

オードリーのラジオの朝井リョウゲスト回で、流れで朝井さんがエロティシズムを言語化を試みたという話になり、

結局エロティシズムとは「アンコントロールなもの」だという所に帰着したという話をしていて、とても合点がいったのですよ。

自分はある程度コントロールできても、他人の思考はコントロール下にはないから、自己の中で論理立てて証明できないところにそこにエロティシズムが生じるのではないかということだったんですけども。 また、今の人は性的なものも、コントロール下(自分で精度の高い自己の好みに合ったものを取捨選択して欲求を満たすことができる。)にあって、アンコントロールなものに対する免疫が薄いとも分析していて、それを聞いて私は草食男子と呼ばれる人の増加は、欲求の減少というよりむしろ、欲求の内在化というところなのかなとも改めて考えたりもしたりもした。

 

で、結局、何が言いたいかと言うと、要は『自分の都合で恋愛したい』ということです。(笑) 楽しい恋愛にするために、自分の気持ちに素直に、能動的に恋愛してみようと思います。 飽きたり、合わないことがわかったら、今の生活を見直し、老後に向けた計画をきちんと立てます。ジャニオタは強いぞ‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎(笑)

 

あ、あと、貯金はどちらにせよ、頑張ります‼︎

 

こう、つらつら書き連ねたけれども、何でこんな私のつまらない恋愛観なんかを書いたかというと、『悪友』を読んで、本当に、救われたからです。浪費編は楽しく、美意識編は妬ましさと羨ましさを持って読んだんだけど、恋愛編、本当刺さった、刺さった。 私と同じ高齢処女のお話とか、正直理解できない恋愛の話とか、大倉くんと旦那さんが自担な理想的な恋愛とか、興味深い恋愛観とか、座談会の最高なリズム感とか、リアルなアンケートとか、余すところなく面白かった。 普段聞かないし聞けない話ばかりで。こう生きても良いんだよと、肯定してもらった気になった。

 

敬愛するブロガー・あややさんを拝見していく中で、存じ上げることとなった劇団雌猫様方の『悪友』を読んで、救われた女がいるよ、そして、私の話も誰か1人でも、読んで笑い種にでも良いから、読んで救われたら良いなと思って書きました。

デブでブサイクでも、案外恋愛は楽しめるぞ‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎

 

…嘘です。完全なる自己満足です。 でも本当に救われて、この気持ちを書き記しておきたくて書きました。この気持ち・熱こそが、 『恋』と呼べるものなのかもしれません。

 

素敵な本をありがとうございました。 劇団雌猫の皆々様のさらなるご活躍、楽しみにしております。 ご自愛くださいませ。 

 

 

 

 

「何時だって、今日は酔狂」あれこれ感想。

 主催者様の丁寧な総評を拝読して、各々方の振り返りを読んで、振り返るまでが、小説だな、と感じたので、振り返ってみます。振り返るほどの、なにがあるわけでないですが。

 

novelcluster.hatenablog.jp

 

はじめに言っておきますと、「初めて小説を書いた」みたいな口ぶりで書いて、低いハードルを更に下げようとしました。ええ。

でも、小説をきちんと書きたいと思っていたのは本当で、それこそ、「書き途中」な小説の欠片は沢山あるんですよね……。

 今回の小説も、書いてみて書きあぐねていたものを変更して書いたものです。「桜」に象徴されていたものは、もともとは、「夕暮」でした。そのため、読んでみると、「桜」にすると、公園が少々浮く形になってしまったかもしれません。私の力量の無さと、そもそもの設定が良くなかったというところもあると思いますが。

 でも、短編とはいえ、完成まで書けたのは、一つの自信になりました。これから、また、書いていければと思います。

 備忘録として、感想等を載せて行こうと思います。

 

 

【参加者の皆様の作品について】

 あーーーーー。私、しまった、と思いましたね、ええ。

検索で、「小説 短編」か何かで引っかかって知った会で、よし、出そう!と勢い余って出してしまいまいしたが、みなさん、非常にレベルが高くて……。

草野球に参加したつもりが、社会人野球だった…といった感じです。

過去の作品をきちんと拝読せず、応募してしまい申し訳ありません…。

「初心者」という部分で、妙な安心感で応募してしまいました……。

 

何を間違ったか、はたまた、こんな小説で良く参加できるな、あっぱれだの意味なのか、スターを押して下さる優しい方が居て、ありがたい…となりつつも、他の方にスターを押し返したら面白いと思って押しても、「お前、自分のレベル分かってんの? 慈悲で押してやったのに、同志にされたら困るんだけど」と思われそうで、押せませんでした。(自意識過剰)

すみません。掲載作品は全て、拝読させていただきました。

「桜」の使い方もそれぞれ特色があって、とても興味深かったし、純粋に面白かったです。また、拝読させていただきたいです。

 

 

【主催者様の感想について】

 

正直、初心者と言ってもこのレベルで出してくるとは……と爆裂に批判されると思っていたので、優しい言葉に全私が泣きました…ええ…。

 

心理描写が私の経験だと、良くお気づきで…。って、こんな屈折した面倒なやつ、そうそうおりませんよね……。性格滅茶苦茶ねじ曲がってるし……。

とはいえ、登場人物ほどではありません。(と信じたい)

私の思考の欠片をつなぎ合わせて、圧縮した感じです。

コンプレックスを昇華できたのかは、分かりませんが、元々書こうとしたオチが、

ホスト狂したあげく借金苦なので、それよりは存分平和な終わり方なのかなとも思います。

 

でも、「また何かを書きたくなったら、是非心の赴くままに書いて欲しいと世界のどこから応援していますよ。」

という一文は、やはり、この会の水準ではありませんが、「書く」と言う行為は否定しませんよ、という、やんわりとした、そう言うならば、丁寧なお祈りメールのような感じがしました…。(そのような意が無かったらすみません)

とても悔しいと感じたので、これだ、というものが出来たとき、note版に参加させていただきたいな、と思っております。そのときはぜひよろしくお願い申し上げます。

 

【小説を書くということ】

今回の小説もなんですが、私の書いたものって、自意識ダダ漏れというか、ダサいというか、けれども、書くということが、カタルシスを与えてくれるものだから、書きなぐって、でもつまらない自分に落胆して…の繰り返しだったんです。

公に書いて、誰にも見向きされなかったら、悲しいな…って、自分のために書くのに、人に評価されたい、という自分の醜い感情と向き合わなければならないのが嫌で。加えて、自分に才能がないことを証明されるのが怖くて。「才能があるかもしれない自分」を守りたくて。

それこそ、「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」の持ち主だったんです。

それでいて、綿矢りささんや朝井リョウさんなんか、イケてる小説家に嫉妬して、

なんで私はかけないんだろうって悩んで……。又吉直樹さんや、加藤シゲアキさん

という自分が好きなタレントが出される本を歯ぎしりしながら、読んで……。

 

そんな、高校・大学・社会人時代をすごしているなかで、ある友人が小説家を目指していることを打ち明けてくれて、小説を読ませてくれたのです。

 

……シンプルに悔しかった。とても、優しくてよい文章だった。

本の話はしていたけれど、小説を書いているのは知らなかったから、吃驚はしたけど、

意外ではなくて、確実にステップアップしている彼女を見て、痛烈に私も書きたい、ってなったのです。

とは言え、彼女のように急に長編を書くのは難しいだろうから、短編を書いてみよう…となったわけです。

 

とりあえずでも、書ききれたので、今度は3人称で、自意識から離れた小説にしてみようと思います。少しずつ書いていって、最終的には、長編を1本書ききりたいです。

 

楽しみながら、苦しみながら、頑張ってみます。

 

 

 

「何時だって、今日は酔狂」

久々の更新が小説になるとは、思いもしませんでした。
というか、「そうだ、小説を書こう」と、きちんと書いたこともないのに、
書いてしまいました。初めてきちんと書いたので、小説という代物ではない気が
しますが、↓のような、「初心者こそ」というような文面を拝見して、書いてみてしまいました。完全なる自己満です。
 
 
「何時だって、今日は酔狂」
 

 喧噪に溢れた公園は、人混みが景色となって存在している。無造作に動くそれらは、心の中に憂鬱を呼ぶ。ああ、なんて、切ないのだろう。この世界はどうして桜なんて、感傷的なものを見出してしまったのだろう。特別な理由などないのに、泣きたくなってしまうから、困る。嫌気がさして一度深呼吸をする。違う自分に出会う。何もかもが色褪せて見える。意味もなく笑いあっているカップルにも、無意味にはしゃいでいる子供らにも、脇で無価値に思える詩を売っているおっさんにも、一切の感情が生じない。

 そもそも、どうでもよいのだろう。そんなもの、私の人生に関係のない「風景」にすぎないのだから。なんて、気取ってみても、自分の人生にさえ、迷いばかりで、正しい生き方など分かっていないのだ。生まれた時から、自分のドラマは悲劇だったのだ。他人から見たら、とてつもなく貧相な喜劇かもしれない。ドラマすらないのかもしれない。現実は、そんな人間にかまっていられるほど暇ではないだろうし、無意味さに呆れてしまうことであろう。振り返ってみれば、それくらい、無意味な毎日を過ごしていることに、憎悪の念すら感じるが、それが結局自分の心を落ち着かせるのだから、皮肉なものだ。平日は決まった時間の電車に揺られ、休日は朝と昼の狭間に起きて、録画した流行りのドラマを見て、上手くも不味くもない食事を一人でとって…。満たされない愛情をどうにか自分の中で昇華して、私は、いつものように歩いて行く。変化のない、コピーペーストされた日々。私は、同じ線をなぞっているだけのだろうか。そうであるに違いない。ああ、つまらない人生だ。こうも、単調な毎日であってよいものなのか。

 

それでも、何かを始める勇気なんて持ち合わせて居なくて、何かを見つけた誰かを羨んで、現状地点で立っているだけなのだ。いつの間にか、周りの「誰か」達は、私の現状地点からは見えない位置まで行ってしまった。そう、見えるだけかもれないが、私にとってそのくらいの距離にあの人達は立っている。楽しそうで幸せそうで、それがとても微笑ましいのだけれど、自分の持っていないものをいとも簡単に手に入れているその人達にも、何か波風が起こらぬものか、と不和を何処かで期待している自分がいることに辟易する。私は、人の不幸を喜ぶ人間になってしまったのか。ああ、辛いことだ。悲しいことだ。それでも、息をして、私はここに立っている。その事実がとてつもなく、恐怖の色を持って、私に襲い掛かってきた。自己の無意味さに押しつぶされて、どうでもよくなって消えてしまいたいと思った。

 

 桜並木の近くのマンションを借りたのは失敗だと苦笑した。始めこそ、密かに心躍らせる瞬間があったことは否定しないが、毎年のように毎日、桜を見ていると、それは「景色」でしかなかったし、ただの「日常」でしかなかった。加えて、夜遅い時間でも、人の絶えない通りは、静かな空間を好む私には苦痛でしかなかったのだ。それでも、引っ越さないのは単に家賃が安いのと、職場が近いからだ。そもそも、それが理由で引っ越したのだから、当然ではあるが。

コンビニに行くには、この公園を通るのが一番の近道なので、仕方なくここを通る。「桜はきれいだ」という絶対的な価値観にまみれた、浮かれた顔を見なくてはならないのは癪だが、遠回りするということは、「桜」が価値をあるものだと逆説的に認めることになる。それは絶対に避けたかった。そういうやつらに負けたくなかった。

憂鬱を背負いながら、ふと桜を見ると、満開に見えた桜もよく見ると、小さな葉がちらほら見える。もう散り際だったのか。それでも、総体として、美しいのだから、桜は憎らしい。

なんの変哲もないいつものコンビニが見えた。今日はやけにこの道のりが長く感じたが、それもただの気のせいである。コンビニというのは本当になんでもあるもので、便利さのインフレが起こっているのではないか、といつも勝手に感じている。いつものように、どうでもいいことを感じながら、また顔に似合わない甘い酎ハイを買い、好物のイカソーメンとチータラを買う。酎ハイに特別合う組み合わせではないが(一般的にビールの方が合うのだろうが)、私が好きだから、問題ないのだ。誰かに規定されるなんて、まっぴらだ。

 

帰り際、公園には大学生くらいの、いや、大学生よりも2、3年上だろうか、青春気分の抜けていなさそうな連中に出くわした。如何にも何も考えてなさそうな男に、頭の軽そうな女たち。そんな連中も、私のことなど空気の様に嘲笑って、見下しているのだろうその雰囲気に辟易とした。少々お金を持っていたとしても、顔が整っていたとしても、それが何だというのだ。男はお金を持っているから、女はに取りやすい可愛さに身を包まれているから、求められているというだけではないか。どんな了見があって、人の美醜で、判断するのだろうか。ほっといてくれ。

気持ちの上では言い返せても、実際にそんな風に言えるわけはない。男に「ブス」を笑われ、女に「可哀そう」な目で見られているような気がして、早歩きをする。余計な体力など遣いたくもないのに、鼓動が嫌に脈を打つ。お前らなんか消えてしまえ。だから、嫌いなのだ。この公園を歩くのは。

 

 意味もなく不快な気分になったので、今日はとても疲れた。誰もいない部屋に、灯をともし、テレビをつける。

 特に観たいものもなかったので、ザッピングしていた。何を考えることもなくあまり面白くもないバラエティを見ていると、束の間、時が止まった。そこには凛とした美しい人が居た。正確にはそこに彼が映っていただけだが。一人の冴えない人間を魅了するには、それだけで充分だった。

 

 

 

 

 ――――――それ以来、私は「彼等の追っかけ」をしている。あれだけ美醜を判断されることに嫌悪感を抱いていたのに、彼等の美しさに魅了されているのだから、自分で自分にあきれたりもするが。

価値観など脆くも儚いものだ。人間、弱くもないけれど、強くもないのから。

 また、「桜」の季節だ。桜といっても、その種類は、一つでない。ソメイヨシノサトザクラ、八重桜……。

 私の心に咲いていたのは、「シダレザクラ」だったのだ。あれだけ綺麗な花に「ごまかし」の花言葉をつけた人はどういう心持ちだったのだろうか。以前の私のような、何もないのに取り繕って、自分だけを正当化していた人間に違いない。

 

 今まで関心を持たないでいた自分の醜い体型をきちんと意識するようになったし、それを隠そうと服にも気をつかうようになった。彼等を追っかけるうちに、「同志」と呼べるような仲間もできたし、楽しいことだらけだ。空白の時間が苦痛でなくなった。

 

 最大限のおしゃれをし、家を出た。昼中から公園で騒ぐ大学生ももはや気にならない。

 

…今日も、笑顔で迎えてくれるあの人達に逢いに行こう。

 

働く・はた楽・はたら苦

映画を観たので、そのブログを更新しようと思ったら、このブログに読者が1名ついていて、非常に驚いた。一体、何をどうしたら、この全然更新されていないこじらせブログを読もうという気になるのか……。誤操作かな? 誤操作なら、この更新で気づいてくれることでしょう(笑)

(訳:ご登録いただいた読者様、私なぞのブログをお読みいただきまして、誠にありがとうございます。大したことも書けませんが、こんな人間もいるのだなあと憐れんでいたき、読者様が少しでも元気になっていただければ、幸いです。)

 

 

……さて、どうせなので、最近の仕事について書いておきます。

なにせ、以前更新したのが、4月なので(笑)

 

契約社員として、出版社で働いて8か月……。

率直に言うと、概ね満足した生活を送っています。

……給料以外(笑)

 

社員の方々は良い方ばかりだし、仕事内容も文字に触れ合うことのできる個人作業だし、殆ど残業もせず帰宅しているし。その分、給料は安いし、賞与は小学校低学年のお年玉程度といったところだったけれども。

今は「やりたいこと」に優先順位をおいて仕事をしているから全体としてはどちらかというと満足しているけれど、その分お金の面で満足いかない部分があって、今後も今のままでいいのだろうか……という、漠然とした不安は常に抱えていて、でも、楽観的な自分が大丈夫だろうと阿保くさく笑っていて…。

自分の中の妥協点を日々模索しています。

 

 

 

……働くって、結局のところ、大概の場合、何かを妥協しなくてはやっていけないことのかもしれません。そのことを強く感じています。自分の中で私の場合はそれが「お金」だったけれど、ある人にとっては、「仕事関係」であったり、「業務内容」だったり、「拘束時間」だったり……。

働くうえで、何が自分にとって譲れないポイントで、何が妥協できる点かというのを常に考えていかなくてはならないと思います。環境も変化していく中で、自分がどうしたいか、というのを、むしろ、周りに流されながら、影響されながら、考えていきたいと思います。色々な価値観に触れて、自分の色をはっきり定義づけていきたいな……。

 

 

 

と、おっと、私には似合わず、こんなにも真面目に文章をつづってしまったw

なんか、面倒くさい先輩面したオバサンみたいな感じじゃねえか…

まぁ、いいか……

 

賞与が想像以上に少なかったのと、来年度入社の正社員採用の弟の初任給が、私の現在の給与を余裕で超えていったということに若干のショックを受けている、私がお送りしました…。(笑)

 

今、ここにいる自分の見え方について。

このブログ、余りにもネガティヴだから、

もう消して、趣味ブログにしようかと思った
けれども、読み返してみたら、
このブログが1番、私らしいから、
残したままにしとこう。
誰にも関係ないことだけれども。




100日くらいブログ更新してなかったなー。
書くことは山程あったのに、
書く気力も無くて、
書けば少しはスッキリするだろうに、
その時間を作る気持ちの余裕が無くて‥。




1年間、非常勤講師として働いて、
凄くダメダメで無能な自分と何度も
出会って、毎日が憂鬱で、生徒に対して
申し訳なさを感じていて、
そう感じることで頑張れないことの免罪符に
していた自分も許せなくて……。




それでも、1年間やってきて、
この時間は無駄ではなかったな、と。
素敵な人達に出会えて、経験値少しだけ上がって、何より「国語」というものに向き合えた。


最後の日、一抹の寂しさに襲われて、
あんなに嫌だったのに、と、
自分自身に小さく微笑んだ。

マラソンのようなものだったのだろうな。
走るのはキツくて途中投げ出したくなるけれども、ゴールが見えてからは、どこか
温度も上がって、少しゴールするのが
惜しくなるような……。



…と言っても、マラソンなどと云う、
運動能力が高くなければ出来ないもの、
やったことはないけれども。








講師として未熟なところが多くて、
私には到底勤まらないなと、
私の中の私が判断してしまって、
実は現在、出版関係の契約社員をしています。
早い話が編集です。
私が中学の頃から、焦がれて焦がれて仕方が無かったものに契約であるけれども、就きました。




入社して1ヶ月、ビックリするほど
穏やかな日常を過ごしています。
自分で1番驚いたのは、日曜日がそこまで
憂鬱では無くなったこと。
1年目は、日曜は胃が痛くなって、
頭が痛くなって、お腹が痛くなっていた。

今も休んでいたいなという気持ちは当然
あるけれども、残した仕事早くらねばという
気持ちも有って、本当に仰天だ。



まだ、正式なお給料は貰っていないけれども、
かなり減るだろうと思う。
だけども、今は自分の1番やりたいことを
やれて充実している。


契約だから、今後ずっと働けるか分からない
けれども、ずっと出版と触れ合えればな、と
今は思っている。


来年のことはまだ何もわからないし、
今日の事すら不確定要素満載だけれども、
今日を今日として生きていくと、
それがいつしか線となって存在するのだろうな
と思う。
不器用な私は、その線をキレイにひこうなんて
思わず、味のある自分の好きな線がそこに
存在する結果となるといいな。



半年後には、憂鬱かもしれないけれども、
とりあえず今は元気です。


人生案外、何とかなるものです。
就活に疲れて私のブログに来た人も
大丈夫です。
私がとりあえず何とかなったのですから。
2年前の絶望と焦燥に比べれば、
今はずっと穏やかです。



諸行無常、変わらぬものなどないと
強く生きようと思います。





 纏まりがなくなってしまいましたが、
読んでくださった方、ありがとうございました。

く…く…くっそーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

コンサート参戦記録のブログ、5.6時間かけて書いていたやつ……

 

一瞬にして…消えたーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!

 

下書き保存していなかった、自分が憎い………。

 

 

 

くそーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!

 

 

悔しすぎる(´;ω;`)(´;ω;`)(´;ω;`)

 

 

 

 

 

アホすぎるし、何ならパソコンにもイライラしてる………。

 

 

 

あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ(絶望)

一か月半もあったのに、殆ど準備が出来ないまま、あと一週間…。怖い。怖い。

 

タイムリミットは刻々と近づいていく。

憂鬱と気怠さの中に、焦燥と茫然を感じる。何度同じ過ちを繰り返せば気が済むのだろう。

 

過ぎ去りし時間が教えてくれる助言を、何時も無知な振りして平気で踏みにじる。

実践を伴えない。ああ。なんと、愚かなことか。

 

 

将来のことが、上手く見えないのです。

怖さと不安を伴って、日々は過ぎていく。とめどなく溢れる負の感情に押しつぶされそうになる。辛いのです。

私は一体どうなりたいのでしょう。壊れそうな私の自我と一緒に必死に今日も生きていくのだ。