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「何時だって、今日は酔狂」あれこれ感想。

 主催者様の丁寧な総評を拝読して、各々方の振り返りを読んで、振り返るまでが、小説だな、と感じたので、振り返ってみます。振り返るほどの、なにがあるわけでないですが。

 

novelcluster.hatenablog.jp

 

はじめに言っておきますと、「初めて小説を書いた」みたいな口ぶりで書いて、低いハードルを更に下げようとしました。ええ。

でも、小説をきちんと書きたいと思っていたのは本当で、それこそ、「書き途中」な小説の欠片は沢山あるんですよね……。

 今回の小説も、書いてみて書きあぐねていたものを変更して書いたものです。「桜」に象徴されていたものは、もともとは、「夕暮」でした。そのため、読んでみると、「桜」にすると、公園が少々浮く形になってしまったかもしれません。私の力量の無さと、そもそもの設定が良くなかったというところもあると思いますが。

 でも、短編とはいえ、完成まで書けたのは、一つの自信になりました。これから、また、書いていければと思います。

 備忘録として、感想等を載せて行こうと思います。

 

 

【参加者の皆様の作品について】

 あーーーーー。私、しまった、と思いましたね、ええ。

検索で、「小説 短編」か何かで引っかかって知った会で、よし、出そう!と勢い余って出してしまいまいしたが、みなさん、非常にレベルが高くて……。

草野球に参加したつもりが、社会人野球だった…といった感じです。

過去の作品をきちんと拝読せず、応募してしまい申し訳ありません…。

「初心者」という部分で、妙な安心感で応募してしまいました……。

 

何を間違ったか、はたまた、こんな小説で良く参加できるな、あっぱれだの意味なのか、スターを押して下さる優しい方が居て、ありがたい…となりつつも、他の方にスターを押し返したら面白いと思って押しても、「お前、自分のレベル分かってんの? 慈悲で押してやったのに、同志にされたら困るんだけど」と思われそうで、押せませんでした。(自意識過剰)

すみません。掲載作品は全て、拝読させていただきました。

「桜」の使い方もそれぞれ特色があって、とても興味深かったし、純粋に面白かったです。また、拝読させていただきたいです。

 

 

【主催者様の感想について】

 

正直、初心者と言ってもこのレベルで出してくるとは……と爆裂に批判されると思っていたので、優しい言葉に全私が泣きました…ええ…。

 

心理描写が私の経験だと、良くお気づきで…。って、こんな屈折した面倒なやつ、そうそうおりませんよね……。性格滅茶苦茶ねじ曲がってるし……。

とはいえ、登場人物ほどではありません。(と信じたい)

私の思考の欠片をつなぎ合わせて、圧縮した感じです。

コンプレックスを昇華できたのかは、分かりませんが、元々書こうとしたオチが、

ホスト狂したあげく借金苦なので、それよりは存分平和な終わり方なのかなとも思います。

 

でも、「また何かを書きたくなったら、是非心の赴くままに書いて欲しいと世界のどこから応援していますよ。」

という一文は、やはり、この会の水準ではありませんが、「書く」と言う行為は否定しませんよ、という、やんわりとした、そう言うならば、丁寧なお祈りメールのような感じがしました…。(そのような意が無かったらすみません)

とても悔しいと感じたので、これだ、というものが出来たとき、note版に参加させていただきたいな、と思っております。そのときはぜひよろしくお願い申し上げます。

 

【小説を書くということ】

今回の小説もなんですが、私の書いたものって、自意識ダダ漏れというか、ダサいというか、けれども、書くということが、カタルシスを与えてくれるものだから、書きなぐって、でもつまらない自分に落胆して…の繰り返しだったんです。

公に書いて、誰にも見向きされなかったら、悲しいな…って、自分のために書くのに、人に評価されたい、という自分の醜い感情と向き合わなければならないのが嫌で。加えて、自分に才能がないことを証明されるのが怖くて。「才能があるかもしれない自分」を守りたくて。

それこそ、「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」の持ち主だったんです。

それでいて、綿矢りささんや朝井リョウさんなんか、イケてる小説家に嫉妬して、

なんで私はかけないんだろうって悩んで……。又吉直樹さんや、加藤シゲアキさん

という自分が好きなタレントが出される本を歯ぎしりしながら、読んで……。

 

そんな、高校・大学・社会人時代をすごしているなかで、ある友人が小説家を目指していることを打ち明けてくれて、小説を読ませてくれたのです。

 

……シンプルに悔しかった。とても、優しくてよい文章だった。

本の話はしていたけれど、小説を書いているのは知らなかったから、吃驚はしたけど、

意外ではなくて、確実にステップアップしている彼女を見て、痛烈に私も書きたい、ってなったのです。

とは言え、彼女のように急に長編を書くのは難しいだろうから、短編を書いてみよう…となったわけです。

 

とりあえずでも、書ききれたので、今度は3人称で、自意識から離れた小説にしてみようと思います。少しずつ書いていって、最終的には、長編を1本書ききりたいです。

 

楽しみながら、苦しみながら、頑張ってみます。

 

 

 

「何時だって、今日は酔狂」

久々の更新が小説になるとは、思いもしませんでした。
というか、「そうだ、小説を書こう」と、きちんと書いたこともないのに、
書いてしまいました。初めてきちんと書いたので、小説という代物ではない気が
しますが、↓のような、「初心者こそ」というような文面を拝見して、書いてみてしまいました。完全なる自己満です。
 
 
「何時だって、今日は酔狂」
 

 喧噪に溢れた公園は、人混みが景色となって存在している。無造作に動くそれらは、心の中に憂鬱を呼ぶ。ああ、なんて、切ないのだろう。この世界はどうして桜なんて、感傷的なものを見出してしまったのだろう。特別な理由などないのに、泣きたくなってしまうから、困る。嫌気がさして一度深呼吸をする。違う自分に出会う。何もかもが色褪せて見える。意味もなく笑いあっているカップルにも、無意味にはしゃいでいる子供らにも、脇で無価値に思える詩を売っているおっさんにも、一切の感情が生じない。

 そもそも、どうでもよいのだろう。そんなもの、私の人生に関係のない「風景」にすぎないのだから。なんて、気取ってみても、自分の人生にさえ、迷いばかりで、正しい生き方など分かっていないのだ。生まれた時から、自分のドラマは悲劇だったのだ。他人から見たら、とてつもなく貧相な喜劇かもしれない。ドラマすらないのかもしれない。現実は、そんな人間にかまっていられるほど暇ではないだろうし、無意味さに呆れてしまうことであろう。振り返ってみれば、それくらい、無意味な毎日を過ごしていることに、憎悪の念すら感じるが、それが結局自分の心を落ち着かせるのだから、皮肉なものだ。平日は決まった時間の電車に揺られ、休日は朝と昼の狭間に起きて、録画した流行りのドラマを見て、上手くも不味くもない食事を一人でとって…。満たされない愛情をどうにか自分の中で昇華して、私は、いつものように歩いて行く。変化のない、コピーペーストされた日々。私は、同じ線をなぞっているだけのだろうか。そうであるに違いない。ああ、つまらない人生だ。こうも、単調な毎日であってよいものなのか。

 

それでも、何かを始める勇気なんて持ち合わせて居なくて、何かを見つけた誰かを羨んで、現状地点で立っているだけなのだ。いつの間にか、周りの「誰か」達は、私の現状地点からは見えない位置まで行ってしまった。そう、見えるだけかもれないが、私にとってそのくらいの距離にあの人達は立っている。楽しそうで幸せそうで、それがとても微笑ましいのだけれど、自分の持っていないものをいとも簡単に手に入れているその人達にも、何か波風が起こらぬものか、と不和を何処かで期待している自分がいることに辟易する。私は、人の不幸を喜ぶ人間になってしまったのか。ああ、辛いことだ。悲しいことだ。それでも、息をして、私はここに立っている。その事実がとてつもなく、恐怖の色を持って、私に襲い掛かってきた。自己の無意味さに押しつぶされて、どうでもよくなって消えてしまいたいと思った。

 

 桜並木の近くのマンションを借りたのは失敗だと苦笑した。始めこそ、密かに心躍らせる瞬間があったことは否定しないが、毎年のように毎日、桜を見ていると、それは「景色」でしかなかったし、ただの「日常」でしかなかった。加えて、夜遅い時間でも、人の絶えない通りは、静かな空間を好む私には苦痛でしかなかったのだ。それでも、引っ越さないのは単に家賃が安いのと、職場が近いからだ。そもそも、それが理由で引っ越したのだから、当然ではあるが。

コンビニに行くには、この公園を通るのが一番の近道なので、仕方なくここを通る。「桜はきれいだ」という絶対的な価値観にまみれた、浮かれた顔を見なくてはならないのは癪だが、遠回りするということは、「桜」が価値をあるものだと逆説的に認めることになる。それは絶対に避けたかった。そういうやつらに負けたくなかった。

憂鬱を背負いながら、ふと桜を見ると、満開に見えた桜もよく見ると、小さな葉がちらほら見える。もう散り際だったのか。それでも、総体として、美しいのだから、桜は憎らしい。

なんの変哲もないいつものコンビニが見えた。今日はやけにこの道のりが長く感じたが、それもただの気のせいである。コンビニというのは本当になんでもあるもので、便利さのインフレが起こっているのではないか、といつも勝手に感じている。いつものように、どうでもいいことを感じながら、また顔に似合わない甘い酎ハイを買い、好物のイカソーメンとチータラを買う。酎ハイに特別合う組み合わせではないが(一般的にビールの方が合うのだろうが)、私が好きだから、問題ないのだ。誰かに規定されるなんて、まっぴらだ。

 

帰り際、公園には大学生くらいの、いや、大学生よりも2、3年上だろうか、青春気分の抜けていなさそうな連中に出くわした。如何にも何も考えてなさそうな男に、頭の軽そうな女たち。そんな連中も、私のことなど空気の様に嘲笑って、見下しているのだろうその雰囲気に辟易とした。少々お金を持っていたとしても、顔が整っていたとしても、それが何だというのだ。男はお金を持っているから、女はに取りやすい可愛さに身を包まれているから、求められているというだけではないか。どんな了見があって、人の美醜で、判断するのだろうか。ほっといてくれ。

気持ちの上では言い返せても、実際にそんな風に言えるわけはない。男に「ブス」を笑われ、女に「可哀そう」な目で見られているような気がして、早歩きをする。余計な体力など遣いたくもないのに、鼓動が嫌に脈を打つ。お前らなんか消えてしまえ。だから、嫌いなのだ。この公園を歩くのは。

 

 意味もなく不快な気分になったので、今日はとても疲れた。誰もいない部屋に、灯をともし、テレビをつける。

 特に観たいものもなかったので、ザッピングしていた。何を考えることもなくあまり面白くもないバラエティを見ていると、束の間、時が止まった。そこには凛とした美しい人が居た。正確にはそこに彼が映っていただけだが。一人の冴えない人間を魅了するには、それだけで充分だった。

 

 

 

 

 ――――――それ以来、私は「彼等の追っかけ」をしている。あれだけ美醜を判断されることに嫌悪感を抱いていたのに、彼等の美しさに魅了されているのだから、自分で自分にあきれたりもするが。

価値観など脆くも儚いものだ。人間、弱くもないけれど、強くもないのから。

 また、「桜」の季節だ。桜といっても、その種類は、一つでない。ソメイヨシノサトザクラ、八重桜……。

 私の心に咲いていたのは、「シダレザクラ」だったのだ。あれだけ綺麗な花に「ごまかし」の花言葉をつけた人はどういう心持ちだったのだろうか。以前の私のような、何もないのに取り繕って、自分だけを正当化していた人間に違いない。

 

 今まで関心を持たないでいた自分の醜い体型をきちんと意識するようになったし、それを隠そうと服にも気をつかうようになった。彼等を追っかけるうちに、「同志」と呼べるような仲間もできたし、楽しいことだらけだ。空白の時間が苦痛でなくなった。

 

 最大限のおしゃれをし、家を出た。昼中から公園で騒ぐ大学生ももはや気にならない。

 

…今日も、笑顔で迎えてくれるあの人達に逢いに行こう。

 

働く・はた楽・はたら苦

映画を観たので、そのブログを更新しようと思ったら、このブログに読者が1名ついていて、非常に驚いた。一体、何をどうしたら、この全然更新されていないこじらせブログを読もうという気になるのか……。誤操作かな? 誤操作なら、この更新で気づいてくれることでしょう(笑)

(訳:ご登録いただいた読者様、私なぞのブログをお読みいただきまして、誠にありがとうございます。大したことも書けませんが、こんな人間もいるのだなあと憐れんでいたき、読者様が少しでも元気になっていただければ、幸いです。)

 

 

……さて、どうせなので、最近の仕事について書いておきます。

なにせ、以前更新したのが、4月なので(笑)

 

契約社員として、出版社で働いて8か月……。

率直に言うと、概ね満足した生活を送っています。

……給料以外(笑)

 

社員の方々は良い方ばかりだし、仕事内容も文字に触れ合うことのできる個人作業だし、殆ど残業もせず帰宅しているし。その分、給料は安いし、賞与は小学校低学年のお年玉程度といったところだったけれども。

今は「やりたいこと」に優先順位をおいて仕事をしているから全体としてはどちらかというと満足しているけれど、その分お金の面で満足いかない部分があって、今後も今のままでいいのだろうか……という、漠然とした不安は常に抱えていて、でも、楽観的な自分が大丈夫だろうと阿保くさく笑っていて…。

自分の中の妥協点を日々模索しています。

 

 

 

……働くって、結局のところ、大概の場合、何かを妥協しなくてはやっていけないことのかもしれません。そのことを強く感じています。自分の中で私の場合はそれが「お金」だったけれど、ある人にとっては、「仕事関係」であったり、「業務内容」だったり、「拘束時間」だったり……。

働くうえで、何が自分にとって譲れないポイントで、何が妥協できる点かというのを常に考えていかなくてはならないと思います。環境も変化していく中で、自分がどうしたいか、というのを、むしろ、周りに流されながら、影響されながら、考えていきたいと思います。色々な価値観に触れて、自分の色をはっきり定義づけていきたいな……。

 

 

 

と、おっと、私には似合わず、こんなにも真面目に文章をつづってしまったw

なんか、面倒くさい先輩面したオバサンみたいな感じじゃねえか…

まぁ、いいか……

 

賞与が想像以上に少なかったのと、来年度入社の正社員採用の弟の初任給が、私の現在の給与を余裕で超えていったということに若干のショックを受けている、私がお送りしました…。(笑)

 

今、ここにいる自分の見え方について。

このブログ、余りにもネガティヴだから、

もう消して、趣味ブログにしようかと思った
けれども、読み返してみたら、
このブログが1番、私らしいから、
残したままにしとこう。
誰にも関係ないことだけれども。




100日くらいブログ更新してなかったなー。
書くことは山程あったのに、
書く気力も無くて、
書けば少しはスッキリするだろうに、
その時間を作る気持ちの余裕が無くて‥。




1年間、非常勤講師として働いて、
凄くダメダメで無能な自分と何度も
出会って、毎日が憂鬱で、生徒に対して
申し訳なさを感じていて、
そう感じることで頑張れないことの免罪符に
していた自分も許せなくて……。




それでも、1年間やってきて、
この時間は無駄ではなかったな、と。
素敵な人達に出会えて、経験値少しだけ上がって、何より「国語」というものに向き合えた。


最後の日、一抹の寂しさに襲われて、
あんなに嫌だったのに、と、
自分自身に小さく微笑んだ。

マラソンのようなものだったのだろうな。
走るのはキツくて途中投げ出したくなるけれども、ゴールが見えてからは、どこか
温度も上がって、少しゴールするのが
惜しくなるような……。



…と言っても、マラソンなどと云う、
運動能力が高くなければ出来ないもの、
やったことはないけれども。








講師として未熟なところが多くて、
私には到底勤まらないなと、
私の中の私が判断してしまって、
実は現在、出版関係の契約社員をしています。
早い話が編集です。
私が中学の頃から、焦がれて焦がれて仕方が無かったものに契約であるけれども、就きました。




入社して1ヶ月、ビックリするほど
穏やかな日常を過ごしています。
自分で1番驚いたのは、日曜日がそこまで
憂鬱では無くなったこと。
1年目は、日曜は胃が痛くなって、
頭が痛くなって、お腹が痛くなっていた。

今も休んでいたいなという気持ちは当然
あるけれども、残した仕事早くらねばという
気持ちも有って、本当に仰天だ。



まだ、正式なお給料は貰っていないけれども、
かなり減るだろうと思う。
だけども、今は自分の1番やりたいことを
やれて充実している。


契約だから、今後ずっと働けるか分からない
けれども、ずっと出版と触れ合えればな、と
今は思っている。


来年のことはまだ何もわからないし、
今日の事すら不確定要素満載だけれども、
今日を今日として生きていくと、
それがいつしか線となって存在するのだろうな
と思う。
不器用な私は、その線をキレイにひこうなんて
思わず、味のある自分の好きな線がそこに
存在する結果となるといいな。



半年後には、憂鬱かもしれないけれども、
とりあえず今は元気です。


人生案外、何とかなるものです。
就活に疲れて私のブログに来た人も
大丈夫です。
私がとりあえず何とかなったのですから。
2年前の絶望と焦燥に比べれば、
今はずっと穏やかです。



諸行無常、変わらぬものなどないと
強く生きようと思います。





 纏まりがなくなってしまいましたが、
読んでくださった方、ありがとうございました。

く…く…くっそーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

コンサート参戦記録のブログ、5.6時間かけて書いていたやつ……

 

一瞬にして…消えたーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!

 

下書き保存していなかった、自分が憎い………。

 

 

 

くそーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!

 

 

悔しすぎる(´;ω;`)(´;ω;`)(´;ω;`)

 

 

 

 

 

アホすぎるし、何ならパソコンにもイライラしてる………。

 

 

 

あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ(絶望)

一か月半もあったのに、殆ど準備が出来ないまま、あと一週間…。怖い。怖い。

 

タイムリミットは刻々と近づいていく。

憂鬱と気怠さの中に、焦燥と茫然を感じる。何度同じ過ちを繰り返せば気が済むのだろう。

 

過ぎ去りし時間が教えてくれる助言を、何時も無知な振りして平気で踏みにじる。

実践を伴えない。ああ。なんと、愚かなことか。

 

 

将来のことが、上手く見えないのです。

怖さと不安を伴って、日々は過ぎていく。とめどなく溢れる負の感情に押しつぶされそうになる。辛いのです。

私は一体どうなりたいのでしょう。壊れそうな私の自我と一緒に必死に今日も生きていくのだ。

 

 

 

 

幸福な不幸

正直、私は恵まれている方だと思う。


自宅暮らしで、家事は出来る人がやるという

分業制なので、仕事から帰ってきて、家事全般を必ずしもやらなくてはいけないわけでもない。


何より、悩みや愚痴を聞いてくれる人がいることはすごく心強いことだとも思うのだ。


一人じゃないって〜素敵なことね〜







仕事の面においては正直、上手くいってないない。

私が未熟だから、舵を取りきれず、

もはや沈没船なのである。




努力のできない怠惰な私は

目の前の事象から逃げて踠いて

溺れているのである。

如何にか希望の光を見つけねばなるまい。



それでも、仕事は上手くいっていないとは言え、周りの方々はとても親切だし、

(年収は高くないが)休みが多い。

恵まれすぎているほど、恵まれている。






それなのに…。日々に多幸感がない。



毎日を空費しているような感覚がする。


何となく1日を生きている感じなのだ。

ただ、同じ毎日をなぞって暮らしているような。







私はそんな空虚な気分になるファクターを知っている。






私の生き方が魅力的ではないからだ。



1日1日を一生懸命に生きてないないからだ。「何となく」で、乗り切ろうとしているからだ。

努力して、ダメだった自分を見て、惨めな気持ちになりたくないから。

幾つも尤もらしい理論を身につけて武装して、勝った気で胡座をかいているから。



本当は負けるのが怖いだけなのに。



今はまだ、守るものなど無いのに。

非常に無駄な自己の安っぽいプライドを

守ってどうするんだ。

そんなものはゴミ箱に捨ててしまえ。



そして、怖がらずに向き合うことが大事だ。

一度ぐらい本気になってみるべきだ。





…そう思っても中々行動できない、

臆病な私。



私の今ある幸福な不幸は、どのように

形を変えていくのだろうか。

不幸は形を変えることができるようだ。

巡り巡って、かつての不幸が

星になっていてくれれば、不幸も

報われるかもしれない。


ー「案外、今も悪くないだろ?」って、不幸と似た幸福が笑いながら。