相変わらずの日常

はぁ。こんだけ日にちが立っているというのに、まだ内定は取れておりません。

 

正直な話、面接を通ったことがありません。(グループディスカッション等は通ります)

 

私は驚くぐらい緊張してしまうのです。私の中では緊張していないつもりの時でさえも

緊張しなくていいと言われます。練習して行っても、否定されます。

 

私はもう私が分からなくなっているのです。

拒否されることに慣れ過ぎて、怖くなっているのです。

 

ああ、どうしよう。

 

 

 

弱い人だと思われたでしょう。ああ、本当に弱いのです。

 

言い訳ばかりで、自己正当化させて、自己満足に浸っている

自分国の王です。

 

国は崩壊寸前で尊大な自尊心の壁に囲まれて、身動きさえ、取れなくなっているのです。

 

自分と他人を比べることばかりして、自分と向き合うことを恐れて。

 

 

ああ、強くなりたい。

 

 

 

 

 

 

※情緒不安定でごめんなさい。わりと真顔でこの文章を打っています。

感情を表に出すのが苦手です。言葉を上手く操れません。

午前2時の憂鬱。

22日発売の嵐のアルバムをやっと取りに行ってきた。

予約した本屋は気持ち家から遠いので(車で10分強)、少し億劫になっていたのだ。

物理的距離、というよりは心理的距離であったような気がするけれど。

 

 

CDを買い、漫画を2冊買って、車に乗る。嵐のCDを車に入れるべく、CDを出す。

 

…ワールドワイド。宇宙的。SO COOL。

 

そんな感じであった。きちんと聴きこんでいないから何とも言えないけれど、

とにかくそれはもう、カッコいい以外の形容詞をつけられない感じだった。

 

 

 

 

私は他に関ジャニ∞も好きで、応援しているのだけれど、回りのファンとどうも熱量が違う。CDやDVDは買うし、彼等の出ているテレビや映画を観るし、機会があればコンサートにも行くし。

 

 

考えてみると、答えは出た。彼等の全面に憧れや尊敬を抱いているのと同時に、

私は彼等に嫉妬しているのだ。

 

頑張っている様子を感じさせず、彼等は「アイドル」をそれはもう楽しそうに演じ、

多くの人に影響を与えている。

 

それはもう、輝きに満ち溢れていて、まぶしくて仕方がない。

 

 

当然ながら、私にはそのカリスマ性も才能もなければ、何かを為してやるという野望もない。そこにあるのは、とるに足らない矜持と密かに息を潜めている負けん気だけだ。それ以外に私には何もない。それでも、今日はやってくるし、明日を生きなければなるまい。

 

 

コンサートに行った時に、こんなにも多くの人を幸せに出来るなんて本当にすごいなと思うと同時に、私はこんなに多くの人の感情を動かすことはできないな、悔しいなと思う自分に吃驚したのを憶えている。

 

何が出来るか分からないけれど、何か出来たらいいな、

と思うのであった。(その前に内定とれよ)

アフターダーク

村上春樹氏の「アフターダーク」を御存じだろうか。村上春樹氏特有のカフェでお洒落に読む話という感じではない、少し毛色の違った小説である。(実際にはカフェで読んでいたら、頭の処理が追いつかなくなるくらい観念的で興味深いのだけれど)

 

私が「アフターダーク」に出会ったのは、中学生の時であった。

教科書に載っていた村上春樹氏の短編が非常に面白かったので、

村上春樹さんの作品を読んで見よう!」となったのだった。

 

本屋に行って、村上春樹の筆者名を探す。多くの本が並べられていた。

私はその中で、比較的薄くて読みやすそうな題名を選んだ。

 

が、それが間違いだった。中学生の私には、何が何だか分からなくて。

教科書に載っていたそれとは違う雰囲気に途中で読むのを諦めたか、読んでもそう

きちんと読んでなかったと思う。

 

 

中学・高校と重松清氏にどっぷりハマっていたので、他の作家はちらほらという感じで、それ以来、村上春樹作品を読んでいなかった。

 

大学生になって、ひょんなことから「1Q84」を読む。

…おもしろかった。最初の方はあまり面白くなかったが、読み進めるうちに

のめり込まれるというか、引きずりこまれるというか。

 

勢いに乗って、他の作品も読んだ。多崎とか、ノルウェイとか。

けれどもやはり、「アフターダーク」は読み返す気にはなれなかった。

 

 

そこから数年経った今、講義の為に「アフターダーク」を読んだ。

 

…これ、案外面白いんじゃ…。

 

自分の中から湧き出される感情に驚きを隠せない。

 

そして、講義を聴く。教員の見方が非常に興味深い。村上春樹氏くらい観念的だと

分析する方も謎解きをしているようでたまらないだろうな。そんなことすら思って、講義を聴く今日この頃なのであった。

 

 

 

…。

ここまで書いて何が言いたかったのかというと、村上春樹さん作品大好き!とかそういう話ではなくて、中学の時に分からなかった世界(きっと今も分からない世界も多くあるけれど)を、今の私が少し理解しているという事実だ。それは、嫌いな食べ物が食べられるようになった感覚に似ている。皆さんも、知らないうちに嫌いな食べ物減ってきているのではないか。不思議と、大人になったような気がする。

 

 

気づかないうちに、時計は着実に前に進んでいるのだな。というようなことを、思った金曜の夜。

 

 

本日も内定なし。

今日は巷では、「内定式」なるものが行われていたようですが、残念ながら

関係のない話です。

 

 

にしても今日は散々な日だ。

好きなアーティストのコンサートは外れるし、

塾のバイトではあからさまな低評価受けるし(これは順当だから批判はないけど)

今日やったバトミントンがいつも以上に下手くそだったし

簡単な自己紹介であがるし。

 

 

 

本当に、私は「人間」として不適格な部分が多いなと痛感する。

 

 

もやもやした思いをぶちまけたい!とパソコンを起動したけれど、

出てくるのは何てことない日々の愚痴。やりきれない自分に対する不満…。

 

 

ああ、私はどうなっていくのだろう。

仕事ください。

こうやって露骨に書くと、大抵の人がえも言われぬ不快感に襲われると思う。

 

 

「そんなこと言うなら、こんな誰も見ていないブログなんか書かずに、

エントリーシートの1つでも2つでも書け」

 

と、至極まっとうな答えが飛んできそうである。

 

無論、そうなのである。だがしかし、このエントリーシート

曲者なのである。

 

書いていると自分の無個性に嫌気がさす。人間的な面白味に欠ける。

この22年間何やっていたのだと過去の自分に怒りすら湧いてくる。

 

どうして、カリスマブロガー★とかになっていたり、19歳で芥川賞とってたりしなかったんだ…(こういうギャグすらおもんないっていうな。)

 

こんなんだから、彼氏いない歴=年齢になるんじゃ…

 

 

 

話すのも、書くのも、苦手ときちゃ、採用されないのも当然だなと思う。

 

おまけにブスだし、デブだし。

 

 

 

 

 

 

…と、こうやって、やさぐれているから内定がでないんだと思います。

 

だって、こんなネガティブな人と一緒に働きたくないもの。

自分の気持ちまで落ちてくるよね。

 

 

それでも。

 

明るくいたいと思います。笑っていたいと思います。

諦めたくないと思います。

絶望がある限り、希望はあるのだから。

 

 

 

 

という、1回目と同様の迷子な文章になってしまいました。

でも、それでいいのかもしれない。

こうやって書くことで、自分にイロがあるって気づかされるから。

 

 

 

なんとなく、倦怠感。

物思いに耽って、何かを書いていると落ち着く。

大それた思いも、人に自慢できるような特技も無くたって、

誰に見られるわけでも無くたって、「書く」という行為が、私の思いを

昇華してくれるのだ。

 

私でない私が、一方で、完全なる私として表出しており、一方で完全に否定している。

こう書くと、頭のおかしい人に見えるかもしれない。

事実、私は、よく変人扱いされるし、自分でも人と少し感覚に違いがあるように感じることもある。

 

でも、少し考えてほしい。何かの契機で、やたら饒舌になっている自分を発見したことはないだろうか。

ちょっとした場面で、自分とは違う自分に遭遇したことはないだろうか。

 

 

私は、文字が乗っかると、少し語りたくなってしまうのだ。そこに賢さなどは微塵もないが、ただひたすらに文字の羅列を続けたくなることがあるのだ。

 

 

このブログは、自分の気持ちが不安定な時に、自分の心を整理させるために使っていこうと思う。

 

 

使うにあたって簡単なプロフィール。

 

22歳、大学4年。内定なし。

 

こう書けば、私の私に対する、心許なさの原因がどこにあるのかということは明白だろう。

 

中学生の頃からの夢であった、編集者の夢が捨てきれないから悪いのだ。

自分の力量を客観的に捉えられていないのが悪いのだ。

努力不足だ、リサーチ不足だ。

 

私の就職活動が上手くいかない理由をあげればキリがないが、

こういうムシャクシャを文章にして、発散したいのである。

 

それで、私と同じ、上手くいっていない人の慰めなり、笑いの種になりなってくれればいいなと思いながら、こうやって、文字を綴るのである。

 

 

何を書くかは気分次第だが、生温かく見守ってくれれば、幸いである。